いつの時代も、「ヘンコ」が未来を創る

2019-06-21

皆さまいつもありがとうございます。 5月~6月、既にとても暑い日が続いて 私は少しバテておりますが、 皆さま体調などお変わりないでしょうか?

私は先日、 岡山国際サーキットにて 当社が参戦している N-Oneワンメイクレースに お手伝いで行ってきたのですが、 いい天気で、すごく、焼けました(笑)。 もう、夏到来かと思うと時の流れの速さに 少し気が滅入ります。。

さて、今月は 絶賛ネタ切れ中で大変困っております(笑)。 そこで、私のつまらない自慢話でも ご笑覧頂きながらのゆるい話題にしたいと思います。 (なんとなく、以前もこのネタを書いた気がしていますが、 それはそっとしておいてください)

私は東京大学文学部で、 日本美術史という学問を専攻しておりました。 かなりマニアックなので スルーして頂いて結構なのですが(笑)、 分かりやすく言うと、 小学校の時の歴史の教科書の 各時代の終わりに見開き2ページ足らずである その時代の文化特集(例えば「江戸元禄時代の文化」) とかで大くくりにされている、 あの部分です。

歴史の中の、サブ要素みたいな扱いをされがちな、 文化とか美術ですが、 大学ではそれだけを専攻していました。 しかも大学なのでもう少し細かく、 江戸時代の伊藤若冲(じゃくちゅう) という画家のみについて、 1年ほど勉強していました。 もう、ほとんど誰もついてこれないですね・・・(笑)

ただ、 この伊藤若冲という画家についての 私の卒業論文も変わっていて、 どうしてその画家が現代の若者に 人気が出たのか (はい、あくまで一部の若者に、という意味ですが、 確かに他の日本美術の画家に比べる200年以降、 段違いに人気が出ました)、 というテーマでして、 2003年~04年当時の美術界やアート会、 マスコミ業界の色んな人に インタビューしまくるという内容でした。

ありがたいことに こういうスタイルの卒業論文は あまりなかったので珍しがられて、 日経新聞の夕刊の一面に デカデカと取り上げて頂いたこともあります (はい、この部分が自慢です・・・)。

さて、私のつまらない自慢話は脇に置いといて、 この若冲という画家、 1700年代中頃~後半にかけて活躍したのですが、 当時からかなりぶっ飛んでいたそうです。 京都の老舗問屋のボンボンだったのですが、 絵を描くこと以外に興味を示さなかったそうで、 仕事、遊び、お酒、ギャンブルもせず、 妻帯もしていません。 40歳で隠居して、絵を描くことに専念します。 その絵のスタイルは、 当時王道だった「狩野派」と言われるものとは全く違う、 オリジナリティ溢れるものでした。 一言で言うと、動植物をリアルに実写して、 濃い色彩で描く絵でした。 実は若冲は仕事もかなり精力的にやった ということも言われているのですが、 「変わり者」という点でいうと ほぼ間違いないだろうと思います。

時代のメインストリーム (今回の場合は「狩野派」)に迎合せずに、 誰に何を言われても気にすることなく、 自分の好きなことを探求し続けた結果、 結局後世まで残ることになったのかなと感じます。 (現代では、狩野派の美術展には 人があまり集まりませんが、 若冲の場合はすごく人が集まります。)

自分の「好き」を探求すると、 時に他人から「ヘンコ」 と言われてしまうようなことがあると思います。 特に、昨今のSNSでの同調圧力なんかをみていると、 少しでも人と違うことをすると 指をさされるようなさもしい昨今ですが、 そんな時に、僕は若冲を思い出します。 好きなことにただただ没頭すると、 とんでもない場所に到達することがある (しない時もある(笑)) ということですね。

令和の時代は、 誰もが自分の好きを堂々と探求できるような 時代になればいいなぁ、と思いますし、 私も少しは子供たちに 自分のそんな背中を見せていければ と思っています。


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